北アルプス スゴ乗越小屋

北アルプス スゴ乗越小屋

スゴ乗越小屋 小屋の歴史

スゴ乗越小屋の生い立ちをご紹介します。

スゴ乗越小屋の歴史
 ゴ乗越小屋は大正15年(1926)に営林署が避難小屋として現在の場所に建てたのが始まりといわれています。当時は「スゴウ乗越ノ小屋」と呼ばれ、昭和4年までは無人小屋だったようです。昭和5年から番人が入り、昭和15年からは地元の芦峅寺から番人が入っていました。その後、昭和25年頃より数年間、富山南部高校(現・富山高校)山岳部が管理していました。しかし、ここから昭和31年までの間は全くの無人で荒れるにまかせていたらしいです。

スゴ乗越小屋は大正12年の槙有恒・板倉勝宣・三田幸夫らの松尾峠での遭難がきっかけになり建てられたと言われています。この当時立山周辺には、ほとんど山小屋は無く、遭難防止のための山小屋設置が問題になっていました。このため富山県が中心になって山小屋建設を推進しました。

昭和32年、現オーナーの五十嶋博文氏の父、五十嶋文一氏が小屋営業の許可を得て、営林署から小屋を譲り受けて小屋番を置きました。これが現在のスゴ乗越小屋のはじまりです。
スゴ乗越小屋、昭和36年 スゴ乗越小屋、昭和63年
スゴ乗越小屋、平成17年

 昭和36年当時の
スゴ乗越小屋

(太郎平小屋50年誌より)

 昭和53年 改築

(太郎平小屋50年誌より)

 現在のスゴ乗越小屋

 

スゴ乗越小屋年表

 

 昭和32年7月
営林署よりスゴ乗越小屋を買収し、営業開始。
 昭和32年7月 スゴ乗越小屋新築。
 昭和38年1月 愛知大学、薬師岳で遭難。13人全員死亡。
 昭和44年 廊下沢崩壊。広河原に自然湖ができる。(俗称:黒五ダム)
 昭和53年7月 食堂・調理場の改築。外壁に杉の半割りを取り付ける。
 昭和55年 当時の小屋番・尾関氏により間山付近に水源を発見。小屋まで水を引く。
 昭和55年10月 キャンプ場を間山池付近より小屋横に移転。(有料化)
 昭和61年9月 囲炉裏より出火。ボヤさわぎ。
 昭和61年 小屋番が尾関氏から高橋氏に代わる。
 昭和62年8月 食堂改修工事。ベランダと囲炉裏の増築。
 平成5年 小屋番が高橋氏から吉田氏に代わる。
 平成9年8月 小屋周辺に熊出没。4年間にわたり小屋に侵入したりテントを襲ったりしていたが、ついに射殺された。
 平成10年 食堂・調理場・帳場の新築工事。客室(旧館)の外壁張替え工事。ベランダ新築。
 平成10年 小屋番が吉田氏から宮崎氏に代わる。
 平成14年 小屋番が宮崎氏から須田氏に代わる。
 平成16年9月 外トイレ改築工事。
 平成17年 小屋番が須田氏から宮崎氏に代わる。
 
参考文献:太郎平小屋50年史2004年11月 五十嶋博文

「スゴ乗越」という地名の由来について。

「スゴ乗越」(すごのっこし)という名前はどこから名づけられたのか、「すご」という言葉の意味も不明で私が小屋番時代はお客さんからよく意味や由来を聞かれて困っていました。当時、古くからの小屋の関係者からは、「黒部の谷に入っていた信州の熊撃ち達が、黒部の谷底から見えやすい山に集まって人数合わせをしていたため、この山を数合(すごう)と呼んだ」ことが由来らしい、と聞いていました。その後、オーナーである五十嶋博文氏の兄で日本山岳会の五十嶋一晃氏が太郎平50周年の記念誌別冊をまとめることになり、この中で「スゴ乗越」の由来について調べています。とても詳しく調べているのですが、とても紹介しきれないので一部を抜粋して引用させていただきます。

数河・数合・スゴの由来については、昭和32年にスゴ乗越小屋を再開した時に、芦峅寺のガイドたち数人から断片的に伝説として聞いていた。略 芦峅寺の人々は昔から猟が盛んで、昭和初期までは狩猟専業の人がおり、春山には真川やヌクイ谷へ熊やカモシカを捕りに毎春出かけた。略 奥山の春の熊猟は巻猟(巻き狩り)という猟法で、芦峅ではオイアゲと言っている。これは大人数で一つの谷を取り囲み、勢子(せいし)が熊を追い出し、尾根などで待つ射手がしとめる猟法である。一つの谷に何人もバラバラになって役割を果たしているので、猟が一段落したところでスゴの頭(ずこ)を目安に落ち合う場所を決め、そこで猟師仲間の数や獲物の数合わせを行った。スゴの頭は地形状あるいは気象上見通しが良い山なので、目安にする山としては非常にいいところであった。以前は山の名前が違っていたようであるが、このことから数合(すごう)(数合わせ)と呼ぶようになり、その後漢字で書くよりも片仮名で書くほうが面倒ではなくスゴウあるいはスゴと書くようになった、ということである。

山名・地名には地元の住民がつけた名は少なくない。それには文字で書くよりもまず言葉として名をつける。その後に漢字を当てるものが多い。ただしスゴに関しては数河や数合という漢字が重複して使われていた時期があり、地元の猟師はカタカナにしてしまったに違いない。スゴ谷の黒部側にあるヌクイ谷は水温が温かい、つまり越中弁でいう「ぬくい」ことから名が付いた温谷(ぬくいだん)であった。それをヌクイとカタカナで書いたことから、今ではヌクイ谷になっている。これと同じように猟師が数合をスゴウと書いたことからすごになったに違いない。

また、自然地理学では山谷の地名は、山からはじまった名は少なく、どちらかといえば、まず谷に名が付けられ、谷の名に導かれて山の名ができたと説いている。数合(すご)谷の源頭の山を数合山( 現・越中沢岳)、その手前にある山を奥数合山(現・スゴの頭)とも呼んでいたのは、その一例である。奥数合山とは立山から見て奥にあるということであろう。

以上のように五十嶋一晃氏は述べています。

引用・参考文献:太郎平小屋50年誌 別冊 「岳は日に五たび色がかわる」2004年11月 五十嶋一晃

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